自分がいま暮らしている営みが、50年後、100年後も同じように続くにはどうしたらいいのか……そんなことを想像しながら事業に取り組んでいる日本酒の酒蔵が、長野県上田市にあります。
「信州亀齢」の銘柄で知られる、上田市・柳町にある「岡崎酒造」。同社では2020年の7月から再生可能エネルギーの地域循環を目指す「NPO法人上田市民エネルギー」に賛同し、太陽光発電に出資したい人と、屋根を持っている人をつないで、太陽光パネルを増やす取り組み「相乗りくん」へ参加しています。
2011年に後継ぎとして岡崎酒造に入った岡崎謙一さんは、350年の歴史を持つ酒蔵として、地域の中でどう生き残っていくかを考える中で「相乗りくん」と出会い、導入を決めました。
過去に酒蔵の経営存続の危機に立たされたことから、「未来の自分や次の世代を苦労させるような行動を取るわけにはいかない」と感じるようになったという岡崎さん。地域の酒蔵として、「おいしい酒を造る」だけでなく、地域と共存・共栄していくためのまちづくりに尽力しています。
「自分たちだけが儲かる町ではダメ」と語る岡崎さんに、地球環境に対する意識の変化や、上田の町に対する思いを聞きました。
<プロフィール>
岡崎酒造 社長 岡崎 謙一さん
東京農大卒業後、都庁勤務、老人ホームの施設長を経て、岡崎酒造に婿入り。2011年から本格的に酒造りに関わる。埼玉県川越市から長野県上田市へ移住。岡崎酒造の生きる道を“地域”に見出し、棚田保全や、まちづくりに尽力する。
「地域にお金を回すため」に、環境にいい選択を
ーー岡崎酒造では2020年から屋根オーナーとして「相乗りくん」を導入されていますが、「相乗りくん」の仕組みを教えてください。
岡崎さん:相乗りくんは、日当たりのいい屋根をもつ「屋根オーナー」と、太陽光発電に出資したい「パネルオーナー」をつないで太陽光パネルを設置し、売電収入をシェアする仕組みです。
岡崎酒造では、酒蔵の倉庫の屋根にパネルを置いています。屋根オーナーは、規定の条件に合えば設置費用なしでパネルを設置できるので、負担なく発電ができています。
2011年11月から始まった『相乗りくん』は、これまでに71カ所に約950kWの太陽光発電パネルを設置し、市民の出資額は1億8,000万円を超えました。(2023年8月現在)
ーー導入を決めるには、どのようなきっかけがあったのですか?
もともと、運営元である「NPO法人上田市民エネルギー」代表の藤川さんとご近所づきあいがあったんです。ただ正直な話、以前は自分から藤川さんに関わる勇気はありませんでした。
ーーそれはどうしてですか?
自分は、積極的に「環境にいいことをしよう!」と言うことにどこか抵抗がありました。
藤川さんの活動はいいと思うけれど、たとえば、「ペットボトルで飲み物を飲んだらダメなのかな?」と、自分の生活態度も怒られてしまう気がして、勝手に距離を置いていたんです。
ーーそこから、「相乗りくん」を導入しようと決めるまではどういった心境の変化があったのでしょうか。
意識が変わったきっかけはやはり、婿養子として岡崎酒造を継いだことでした。今後の酒蔵の経営を考えていくなかで、「酒蔵の歴史を、この先も続けていかなければいけない」という意識がだんだん湧いてきたんです。岡崎酒造は、350年続く酒蔵です。その歴史を400年にしていくためにも、自分の役割は「次の未来へバトンを渡す中継ぎ」みたいなものだと。
ーー未来のことを意識し始めたのですね。
はい。自分の代がピークで繁栄するのではなく、どうやって次へ繋いでいくか。そのためには、何が必要なんだろうと悩んでいたときに、上田市民エネルギーが主催のシンポジウムがあったので参加してみたんです。そこには藤川さんも登壇者として参加されていました。
そこでお話を聞く中で、「環境にいい選択をすれば、外にお金が出ていかないんだ」と思ったんです。
ーー「お金が出ていかない」とは、どういうことですか?
たとえば、電力会社を通じて僕らは電気を買っていますよね。その電力会社がさらに海外から石炭や天然ガスを買って、火力発電をする。そうすると、僕らが稼いだお金が、上田の外どころか海外に流出してしまっている。
一方で、地域で電力をつくるという選択肢もあった。上田には日照時間が長くて日当たりがいい場所がたくさんあるんだから、極端な話、「太陽光発電ってタダじゃん!」と思ったんですよ。そこにあるものを活かして、お金をかけずに地域のエネルギーが作れる仕組みがあるなら、地域でちゃんとお金とエネルギーが回る。それならやった方がいいなと腑に落ちた感じがしたんです。環境のためとか、「地球を守らなきゃ!」みたいな意識ではなくて、「自分たちの地域にお金を残そう」というのが、「相乗りくん」に参加を決めたきっかけでした。
自分たちだけで完結させず、仲間を巻き込んでいく
ーー導入から3年が経ち、具体的な効果は得られましたか?
「相乗りくん」で設置した太陽光パネルによって岡崎酒造で使用している電力使用量の2割ぐらいの電力を発電できています。
実は、岡崎酒造ではもともと先代の頃からソーラーパネルを設置して発電していたんですよ。でも「相乗りくん」を導入するまでは、太陽光による発電量を全く気にしていませんでした。
ーーそうだったのですね。どうしてさらに「相乗りくん」の導入を?
自社で太陽光パネルをつけるだけでは、エネルギーは作れても、自分たちの中で完結してしまって何の影響力もありません。でも、他のパートナーと組むことで、発信する力も、地域に与える影響も大きくなる。自分たちが参加することで、以前の僕のように「地球環境」という言葉にピンとこない人でも、「岡崎酒造もやっているんだ」と興味を持ってもらえるんじゃないかなと。
実際に「相乗りくん」を導入したことで、自分も新しい影響を受けたんです。
ーーどんな影響があったのですか?
自社で使用する電力の契約を、再生可能エネルギーを多く利用する電力会社に切り替えました。「相乗りくん」導入前は、大手電力会社と契約していたのですが、ちょうど導入したての頃に太陽光などの再生可能エネルギーを利用する電力会社「みんな電力」から営業のメールが来たんです。
「相乗りくん」を導入したものの、自分達がお酒を造るのに消費している電力の2割程度しか発電できていなかったので、「これだけでいいのか?」とモヤモヤしていたタイミングでした。
とはいえ、意識を変えて生活を変えて、というほどのことではないんですよ。最初の手続きこそ面倒ですが、屋根を貸すだけ、支払先を変えるだけのことですから。「自分が変わる!」とか、頑張って何かを変えたわけではなくて、ただ自分のやれる範囲での「いい方向」を選んだだけです。やれることはやろう、ぐらいの感じですね。
ーー地球環境にとって良い選択をすることに関心を持つ酒蔵は、増えてきているのでしょうか。
どちらかといえば、少ないと思います。よく、酒蔵のイメージアップやアピールのために環境への取り組みをしているんだと思われることがあるんですが、僕のSNSで「相乗りくん始めました」と投稿しても全然いいねがつかないんですよ。(笑)
ーーお酒や会社のイメージアップのために環境保全に取り組んでいるわけではないと。
そうですね。むしろ、罪悪感を取り払うためだと考えています。
ーー罪悪感、ですか?
お酒って、造る過程でも、出来上がったあとも、結構エネルギーを使うんです。酒米を蒸す、麹室を温める、お酒のタンクを冷やすなど、お酒を造る工程にはエネルギーが必要ですし、造った後も、お酒をいい状態でキープするためには冷蔵庫管理が必須で、配送するにも燃料を使います。「お酒が売れることが地域貢献だ、飲んでくれる人に幸せを与えるんだ」と言いながらも、資源を使ってしまっている部分に罪悪感があって。
ーー環境への負荷に対する罪悪感を意識しはじめたのはいつ頃からですか?
自分が後を継ぐにあたり、酒蔵の存在意義を考えはじめたのがきっかけの一つかもしれないです。自分たちがしていることは、本当に世の中にとって「いいこと」なのか?それでも酒蔵を残す意義は?と、いろいろな面に向き合わざるを得なくなってきて。
でも、地域の酒蔵として、地元でおいしいお酒を造ることにはきっといい面もある。であれば、少しでも資源の消費を抑えて罪悪感を和らげ、酒造りを続けていけたらと。
ーー罪悪感と向き合い続けていく上で、自分たちに何ができるかを考え始めたんですね。
はい。そこで、まずできることが「相乗りくん」と、再生可能エネルギーを選ぶことだったという流れですね。
「自分さえよければ」ではいけない。たどり着いた共存の意識
ーー環境にとってより良い選択をするということだけでも、決断だったと思います。「このままでいいや」と考えず、選択の仕方を変えることができたのはどうしてですか?
「自分たちだけよければいい」なんてことはありえない、と気づいたのが大きいのかもしれないです。「地元がどうなろうと海外に輸出すれば儲かる」なんて言っていたって、自分たちの住む地域が衰退していけば、学校も病院もなくなる。そうなると、スーパーがなくなり、飲み屋もなくなる。ということは、僕らの売り先も、楽しくお酒を飲む場所もなくなります。従業員を雇おうとしても、そんな地域には人は来てくれませんよね。
それに、自分たちの利益だけを考えてお米を安く買い叩いていては、農家さんが潰れてしまう。農家さんにもちゃんと儲かってもらわないと、お米をもらえない。そもそも、自然環境が汚れてきれいな水が入ってこなくなると、いい米が作れなくなって、農家さんがいなくなる……。
ーー「自分さえよければ」では、将来的に立ち行かないと。
たとえば、最初に僕が酒蔵に入ったときは、ただ「長野県産」と記されたお米を原料に使っていました。でも、長野県内のどこで作られたお米なのかまではわかっていなかったので、もっと地域一体でいきたいなと地元で作られたお米を選ぶようになりました。酒蔵だけが儲かって、周りの農家がみんな辞めてくみたいな町にはしたくない。そう考えた時に、共存意識が芽生えたんだと思うんです。地域で共存共栄をすることが、結果として自分たちのためになる、みたいな感覚です。
ーー目先の利益ではなく、もっと先のことを考えるようになったのですね。
たかだか一つの酒蔵にできることは、本当にわずかだと思います。でも、地域を盛り上げる上でお酒は「飛び道具」になると思うんですよ。特に、日本酒には「地酒」という概念がありますし、地域性が強い。うちのお酒がニューヨークまで届いて、「これは長野県上田市で造られたお酒です」と発信されていくわけですよね。それは国内でも同じこと。
まずはうちのお酒の味を知ってもらい、うちのお酒を好きになってくれる人が、全国もしくは世界で増えてくれば、「このお酒のできた町を見てみたい」と思うかもしれない。そうすれば、上田に人を呼ぶことができる。
ーー上田の外に出ていったお酒が、地域に人を連れてくるんですね。岡崎酒造の日本酒をきっかけに上田の町に来てくれた方が、「せっかく来たからどこかでご飯も食べていこう」と、地元のお店に足を運んでくれて、その写真がSNSに投稿されたり、口コミで広がったりして、また上田に人が来て、町が盛り上がって……と、全部つながっていくんじゃないかなと。
今の自分は、未来の自分からみた過去
ーーおいしいお酒を造ることが、いい町をつくることに繋がっていくと。
実は、岡崎酒造は以前からまちづくりに力を入れていたんです。岡崎酒造のある柳町通りが整備されて、空き家に蕎麦屋やパン屋が入るようになり、地域が盛り上がってきたのは義父たちのおかげなんですよ。
でも、いざ自分が跡取りとして現場に入ってみたら、酒蔵としてやるべきことはまだまだ残っていた。
だからこそ、跡を継いだ当初は「本業の酒造りにしっかり力を入れよう」。と製造の現場をフルモデルチェンジして、ようやく周りからも「おいしい」と評価していただけるお酒が造れるようになってきた。
そこでようやく、「今の僕は、未来から見た過去だよな」という視点が生まれたんです。自分が「まちづくりはいいけれど、酒造りには課題が残っている」と思ったように、未来の自分や、次世代の人間を困らせたくなかった。だから、今の自分にできる選択をしておきたいなと。「歴史を繋ぎたい」と言っておきながら、未来の自分や次の世代を苦労させるような行動を取るわけにはいかないんです。
ーー長い歴史の中で、自分にできることを考えて行動しようとしているのですね。
とはいえ、僕自身には何かを始めたり先導する能力があるわけではないから、能力のある人が町に来たり、新しいことが始まったときに、その人たちをサポートしたり、一緒に連携できたりする立ち位置でいたいですね。
「相乗りくん」導入の話にもつながりますが、岡崎酒造には町の「信用貯金」があるんですよ。どれだけ良い人や優秀な人がいても、信用がないと「お前は何しに来たんだ?」と孤立してしまう。そこに僕が入ることで、「岡崎酒造の社長が言うんならいいんじゃないの」みたいに言ってもらえる。なにかいいことをしている人たちのつなぎ役になれたらいいなと思っていて。
ーー最近、上田の町の「つなぎ役」として取り組んでいることはありますか?
岡崎酒造のある柳町からちょっとずつ範囲を広げ、上田の別の場所で頑張っている人たちと連携して町を盛り上げようと動いています。具体的には、市内の空き家を活用して、一棟貸しの宿を作れたらいいなと考えていて。
人が来たくなるような「元気な町」というと、やっぱりいい酒場があって、夜が盛り上がっている町だと思うんです。
日中は町を散策し、夜は飲み屋街へ、朝には地元のパン屋や喫茶店で朝食、みたいに、上田で暮らすような滞在をして楽しんでもらう流れをつくることが、町が生き残る道なんじゃないかなと。その中でうちのお酒を買ったり飲んだりしてもらえたら、うちもうれしいし、町も盛り上がるでしょう。
ーーここにも「共存共栄」の意識が。
上田の町のために動くことは、一見うちの利益には繋がらないですよね。でも、自分たちだけのメリットを考えると、結局小さいサイクルでしか回っていかない。最初に一度自分の利益を度外視して、もっと広い範囲のために動いていると、最終的には自分に大きな利益が返ってくると思うんです。だからね、僕は全然「いい人」ってわけじゃないんですよ(笑)。
再生可能エネルギーを選ぶことも、地元の農家のお米を買うことも、なるべく地元の飲み屋で飲むようにすることも、上田の町を盛り上げるために動くことも、「自分たちの地域にお金を残す」という意味では、根っこは同じです。そうやって、全部を地元に回していくことが、自分たちの酒蔵の350年の歴史を、400年にすることに繋がってくるんじゃないかな。
岡崎酒造
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撮影:丸田 平
編集:乾隼人
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